この間、「すずめ、動物の心」の項で、動物の心、感情について書きました。

では、植物には心や感情はあるのでしょうか。

20年前に出版された神津善行さんの著書「植物と話がしたい 自然と音の不思議な世界」を読むと、植物に心があってもいいように思えてきます。
最近は、そういう研究をあまり耳にすることはありません。
利益に結びつく研究が重要視される現在、研究テーマになりにくいのかもしれません。
それでは、自分で考えることにします。少々、哲学的に。

まず、ヒトの思考とは何なのでしょうか。思考=考える作業は、言葉で行われます。
新約聖書のヨハネによる福音書には、「始めに言葉ありき」という有名なくだりがあります。
創世は神の言葉からはじまった、という意味のようですが、宗教的解釈は専門家にお願いするとしましょう。
人間は言葉を使って考えます。そこが、他の動物とは違うところ。
言葉で考えることで神羅万象を明らかにしていく、人間の存在意義を表していると考えてよいと思います。

さて、物事には因果律、つまり、原因があって結果があるという大前提があります。そこには、時間は過去から未来に向かって流れていくという物理的法則があります。
理論物理学的には、別次元での時間の逆行もあり得るようですし、素粒子のミクロな世界では、未来が過去に影響を与えていることが実験的に確認されています。
しかし、日常的なマクロの世界では、落として割れた壺が元に戻らないように、因果律と時間の一方向への流れは変えようのない事実です。
また、意識して片付けなければ部屋が雑然となるように、エントロピー(乱雑さ)が増大していくという物理法則の原則も確かなものです。
そして、エントロピーの増大こそが、人間の感覚的な時間の一方向への流れを感じさせる原因と考えます。
そこで、壊れやすい壺が倒れないよう固定する手間がかかるように、エントロピーを一定に保つにはエネルギーが要ります。
さらに、割れた壺を接着剤で直すのが大変なように、エントロピーを減少させるには、もっとエネルギーが要ります。

生命活動も壺と同じく、生きて個体を維持するためには、捕食や光合成などでエネルギーを使います。
個体が傷ついたら、動物なら傷口を舐めたり、植物ならカルスを作ったりして、もっとたくさんのエネルギーを使います。
エネルギーを使わない状態は、死んで土に返ることを意味します。

思考は、ばらばらに見える事象を、因果関係の法則に従って頭の中で組み立てていくという作業です。
ちょうど、エントロピーの増大に逆らうように活動する生命と同じです。
それには、道具とエネルギーが必要です。まるで、名探偵が虫眼鏡とペンとノートで推理していくみたいに。
その道具が人間だけが持ちうる言葉、エネルギーが本能、あるいは考える動機や好奇心といえるでしょう。

ホモサピエンスは、道具として石斧や黒曜石の刃物だけでなく言葉も持つことで、人間となったんですね。

では、思考や感情、心とは何なのでしょうか。
人間は、思考すること、言葉を使って考えることで、世界を感じ、発見し、創造してきました。
しかし、「思考」の前には「感情」が先行します。そして、感情の前には、「心」があって、心の前には「存在そのもの」があります。
例えれば、薔薇の花は美しい、という言葉の前に、花を美しく感じる感情があります。そして、感情を持つ土台として心があります。さらに、美しいという事実そのものがあります。

生命活動を行っている生物は、人間も他の動物も植物も、すべてエネルギーを使ってエントロピーを一定に維持しています。
ということは、皆、因果律の法則、時間の流れに支配されているということです。
人間が他の生物が違うのは、思考すること、言葉を持つことですが、思考をもエントロピーの法則に則っています。
(ちなみに、動物の鳴き声や植物のフィトンチッドによる情報伝達は、「言葉」ではなく単なる「記号」といえるので、区別しています。)

ならば、生物の在り方が同じである以上、物理法則が全てに同じである以上、思考以前の「感情」や「心」は、他の動物や植物にあっても良いのではないでしょうか。

「存在そのもの」は、何故、宇宙はあるかといった、究極の問いに関わることです。
ならば、「存在そのもの」は、宇宙にあるすべての物質や構造に共通していることでしょう。

もしかしたら、石のような無機物にも、惑星や恒星や銀河にも、「心」以前の「何か」があるのかもしれません。