「至上の印象派展 ビュールレ コレクション」は、昨年のおわりくらいからメディアで盛んに取り上げられていて、是非、行きたいと思っていましたが、なかなか、家族の予定が合わず、会期のおわりに駆け込むように行ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

緻密な描写の絵が好きで、ルネ・ マグリットやダリの展覧会に行ったり、ロジャー・ディーンの画集を神田の洋書店で買ったりしていました。
印象派の中でも、写真のようなロランの風景画や、ジャポニズムの影響を受けたマネの人物画などに惹かれるものがありました。

とくに、今回の目玉とされるルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」は有名すぎるくらい有名な絵なので、是非、本物を見ておきたいと思っていました。

思ったより小さかったのですが、やはり本物は心に響くものがあります。
画像処理されてはっきりした色調の印刷物と違って、本物の持つ絵具の質感や淡い色合いが、この絵の辿ってきた歴史や運命を語っていました。

そして、何故かウルっとしてしまいました。

今までも、たくさんの美術館や展覧会には行って来たけれど、こういう感情になったことはありません。
新聞などで、いろいろな人のこの絵に対する評論を読んできましたが、どれもこの感覚に当てはまるものはなかったように思います。
絵画の感じ方は人それぞれですから、自分で自分の心を見つけなければなりません。

そして、気づきました。
あの泪はもう、少年時代の感性は二度と帰ってこないという事実に気づいた哀しみでした。
「イレーヌ」は「メロディ」なんだと。

「小さな恋のメロディ」。50年ほど前の映画で、私の世代では誰もが見ていると思います。
当時、美少年で名を馳せたマーク・レスターと、可憐そのもののトレイシー・ハイドが演ずる少年少女の恋物語です。
たどたどしくバレエを踊るメロディの姿と、バックを流れるビー・ジーズの素敵な音楽が相まって、忘れられないシーンとなっています。
そして、こんな恋をしてみたいと、思春期の入口にいる少年だった私はそう思いました。

損得も利害も考えず、あらゆることをただ純粋に感じていた、ありのままだった少年の自分。

仕事だけでなく、家庭での生活すら、効率的に目標と予定調和を達成させることに汲々としている現在の自分。

「イレーヌ」と「メロディ」。どちらも美しさと可憐さにおいて、共通するものがあります。
きっと、「イレーヌ」が、かつては自分も少年の心を持っていたこと、もう取り戻せないことを気づかせてくれたのでしょう。

 

「イレーヌ」は不思議な絵です。
彫の深い顔の欧米人の子供は大人びて見えます。
それでも、あの憂いのある眼差しと表情は8歳の子供のものではありません。
その後の、戦争の世紀と自分の過酷な運命を予感していたのでしょうか。
それとも、140年の時間と人々の思いが、この絵に命を吹き込んだのでしょうか。

この絵は、100年後の未来ではどのように評価されるのか、興味は尽きません。